相手のためを思って、よかれと思ってしたことが裏目に出る。
相手の喜んだ顔が見たくてがんばったのに、全然喜んでもらえなかった。
そんなとき、あなたはどうしますか?
私もよくこういう感情に悩んでいました。
でも、夫婦げんかをきっかけにこの感情をちょっと楽にするコツみたいなものがわかったので、同じようなことで悩んでいる方にお伝えしたくてこの記事を書きました。
自分のこの愛情は果たしてただの自己満足なのか。
見返りを求めることはそんなに悪いことなのか。
私と同じように悶々と悩んでいる方に読んでいただければ幸いです。
目次
見返りについて考えたきっかけはほんの些細な夫婦げんか
うちは割と仲良し夫婦ですが、先日久しぶりに夫婦げんかをしました。
ケンカのきっかけは本当に些細なことです。
うちのだんな様は果物が嫌いで、そのことは百も承知しています。
が、年々上昇していく血圧を心配して無理矢理にでも食べさせようと毎朝用意しています。
だんな様も渋々だけど、今までは出せば食べてくれていたのですが、急にもう朝は食べたくないんだ!と言い出したのです。
朝は糖分はとりたくないとか果物で血圧は変わらないとか…。
じゃあ今まではなんで食べてたの?
忙しい朝に果物切って用意していた私の労力は無駄だったの?
せっかくあなたのために高い果物買ってきてるのに
こんな些細なケンカが原因ですごく落ち込んでしまいました。
よかれと思って一生懸命やってたのに…。
実はつい最近も、高齢者施設にいる母のことで同じような思いをして落ち込んだばかりでした。
母に少しでも笑顔になって欲しくて、高齢の母が安心して穏やかに過ごすためにどうしたら良いかを死ぬほど考えて、考えて…。
その上で高齢者施設に入れたのに、母は笑顔どころか毎日文句しか言わなかったり…。
相手のためを思ってよかれと思ってやったのに、どうして分かってくれないの?
こんな風に何度も同じような感情に陥ってしまうのはきっと私が何か間違っているのかもしれない。
そんな風に思ったら、深く深く落ち込んでしまい、その日は一日寝込んでしまいました。
相手の立場に立って考えたことでも裏目に出ることもある
私が母のためにしたことはただのありがた迷惑だったのか?
私は相手の立場になって考えることが出来ないのか?
と、今回のことをきっかけにとても落ち込みました。
「相手の立場になって考えよう」
人に何かをアドバイスしたり、何かしてあげようとするときには「相手の立場に立って」考えることが大事、と言われるますよね。
その人の置かれてる状況や立場も考えずに自分の考えを押しつけるだけならそれは当然ありがた迷惑になるでしょう。
でも私は母の幸せを願って、母の気持ちを考えて、悩んで悩んで悩んで結論を出しました。
これ以上「相手の立場に立って」と言われても私にはどうして良いか分かりません。
でも母は全く笑ってくれない。
私がよかれと思って出した答えが、母にとっては笑顔になる要素にはならなかったということでしょう。
相手の立場に立って死ぬほど考えて、考えて行動したとしても、それが裏目に出てしまうことはある。
この事実をまずは冷静に受け止める必要があるのだと思います。
見返りを求めることは本当に間違っているの?
あなたのためを思ってこんなに一生懸命してあげたのに!
と怒る人に対して「見返りを期待してるからだよ」という言葉をよく聞きます。
相手から「感謝されたい」と思うのではなく「自分がしたいからする」と思えば腹も立たないはずだと。
もちろん私は自分がしたいからしたし、別に「感謝されたい」と思っていた訳ではありません。
ただ母の笑顔が見たかっただけ。
その笑顔が「見返り」と言うことなら、なるほど、私はやっぱり「見返り」を期待していたということなのだと思います。
でもね、やっぱり全然喜んでもらえなかったらガッカリはすると思うのよ!
だって人間だもの。
今まで私は「相手の立場に立っていない」とか「見返りを求めているからだ」と自分を責めていたのですが、今回深く落ち込んでいろいろ考えて、本当にそうだろうか?という疑問にたどり着いたのです。
本当に見返りを求めることが悪いことなの?!と。
見返りを求めることは人間だから?三輪空の教えとは?
お釈迦様は他人に「施し」をした時には3つのことを忘れなさいと教えています。
「わたしが、誰に、なにを施したか」
これを忘れてしまいなさい、と。
これを「三輪空の教え」といいます。
私たちは自分が人に対して行った施しはずっと覚えているもの。
けれど自分が受けた恩は簡単に忘れる。
それが人間。
何かをしてあげたら感謝してもらいたいという「見返り」を求めるのが人間。
してもらった恩をケロッと忘れるのも人間。
でも、それが人間の本質であるからこそ、お釈迦様は「三輪空の教え」で人間を戒めたのだと思います。
「こんなにしてあげたんだから感謝くらいしてよ!」
そんな風に見返りを求めてしまうことは「人間の本質」なのだと私は思います。
落ち込みの本当の原因は自分の心の持ち方だった!
こんなに一生懸命やったのに相手にとってはありがた迷惑だった
自分がしてきたことはただの自己満足だったのか!
と気づいた時、当然ショックを受けます。
自分がしたいからしただけ。
見返りなんて求めていない。
だとしても、相手のためを思ってしたことを全く相手に喜んでもらえなかったら、やっぱり多かれ少なかれガッカリはすると思います。
でもね、ここからが問題だと思うのです。
ショックを受けた後、ガッカリした後、どうするのか。
感情にまかせて相手に怒りをぶつけてしまうのか。
それとも「喜んでもらえなかったのは残念だけどそれは仕方のないこと。また別の方法を考えよう」と気持ちを切り替えられるか。
今回私は深く落ち込んで悩んで考えて、私に足りないのはこの「気持ちを切り替える」ということだと気がつきました。
相手のためを思って、相手の立場に立って考えに考えたとしても、それが100%相手のためになるとは限らない。
むしろ相手に喜んでもらえる方が少ないのかもしれない!
だって「相手」はやっぱり「自分」ではないのだから。
何かしてあげたときに、もしも相手が喜んでくれたらラッキー!くらいに思っておけばいい。
そうすればもし喜んでもらえなくても、パッと気持ちを切り替えられる。
「ん~残念!よし!じゃあどうしたら喜んでくれるか他の方法を考えよう!」とか。
もちろんちょっぴりガッカリはするけれど…。
そんな風に考えたら、一日寝込んで悩んでいたのが嘘みたいに、パーッと霧が晴れるようにスッキリしたのです。
単純、でしょうか?
まとめ
いい歳してなにを言ってるのか、と言われてしまいそうですが、私は今まで「相手の立場に立って考えられない」「見返りを求める」ダメな人間だと自分を責めていました。
でも責めるべきはそこではなかった!
気持ちの持ち方、切り替え方が問題なのだと気がついたとき、「いい歳して、また一つ成長できた!」とちょっと幸せな気持ちになれました。
子供のためを思ってよかれと思って一生懸命やっているのに!
夫の健康を心配してよかれと思って必死にやってきたのに!
誰も感謝もしてくれない!私のなにが悪いの?!
と悩んでいるなら、まずは自分を責めずにちょっと気持ちを切り替えてみましょう。
喜んでくれなくても仕方ない。
喜んでくれたらラッキー!
その程度だと初めから思っておきましょう。
それでもきっと、あなたが本当に大切に思う相手には、あなたの愛情はちゃんと伝わっているのですから。
それでは今日はこの辺で。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
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